(下部消化管内視鏡診断アトラス)
 物語として読める辞書
 書評者:市原 真(札幌厚生病院病理診断科主任部長)

 

 ある内視鏡医が著した教科書を読んだときのこと。ミニコラム内にこんなエピソードがあった。

 

 「ベテラン病理医の部屋を訪れたところ,私がドアを開けるなり,まだ何も言っていないのに,『本か?』と言い当てられた。図星であった」。

 

 私はここに,病理検査室の「あるべき姿」を見た。臨床医に頼られるような病理医をめざすのはもちろんだが,「臨床医に頼られるような書架」を整備したいという気持ちが高まったのである。

 

 もともと,わが病理検査室の本棚には,前任者たちが精魂込めて収集した教科書がひしめき合っていた。新旧の規約やガイドラインはもちろん,私が医師免許を取得する前から版を重ねているような名著もあった。私もそこに少しずつ本を買い足して,時折整理してはアヤシク笑みを浮かべている。時折臨床医が本を探しにやってくるのを見るのはうれしい。先人たちによる手入れのかいあってか,はたまた,勤め先の愛ある図書研究費のたまものか。

 

 そんな「病理図書利用者」たちが手に取った本を鳥瞰すると,臨床家たちが頼りたくなる書籍には二種類あるようだと気付く。一つを「網羅系」,もう一つを「物語系」と仮に名付ける。

 

 網羅系書籍とは,医学知識を区分けして提示することで,全てがそろった安心感と,辞書のように引ける利便性を提供する。一方で,物語系の書籍は,サイエンスに通底する論理構造を,語りかけるようにひもといてくれる。

 

 辞書を通読するよりも小説を読み通すほうが手軽だ。しかし,辞書的に使える本がないと現場では不便だし不安である。網羅系書籍は総じて高額なので,公共の書架には網羅系のアトラスをやや多めに並べておけば,みんなの役に立つだろう。

 

 さて,この度発刊となった『下部消化管内視鏡診断アトラス』は,雑誌『胃と腸』の精神が凝縮された,「網羅系」書籍の最新版である。意図と理念の解像度が高い美麗な写真! 書架に一冊あるとほっとする。馬手に内視鏡,弓手にアトラス――。

 

 と,まあ,良いアトラスを褒めるときの決まり文句である「美麗な写真」で本書を語ることは容易だ。実際,「写真がきれい」という価値の一点突破でベストセラーになるクオリティはある。ただ,それだけの本だろうか? 本書の魅力は他にもある。

 

 実はこの本,説明文が「敬語」なのである。編集の小技にびっくりしたが,それがもたらす効果にさらに驚く。解説者たちの声が,読書中に脳内に響いてくるのだ。鶴田修先生とか清水誠治先生とか小澤俊文先生とか佐野村誠先生とか田中信治先生とか,ああ書き切れない,「早期胃癌研究会の最前列で読影をされている先生方」が説明する横で画像を見ているような気分になる。そのおかげで,「網羅系アトラスなのに,通読できてしまう」のだ。なんと言ってもこれがすごい。あと,値段が安い。印税でランチすら食えないレベル。このアトラスなら個人で買える。あ,そうそう,最後に一つ。バーチャルスライドベースのルーペ写真ってやっぱりきれいですねー!

 

 

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